オープンカー。
その誕生は古く、1900年代初頭、つまりエンジンを搭載した自動車が発明された頃にはすでに存在していたという。
そもそも黎明期の自動車はルーフを持たない「根っからの」オープンカーが基本だったそうな。
日本でもダットサン(現在の日産)が1930年代に販売し始めたのがキッカケとなり、主にパーソナルカー(つまり贅沢クルマ)を主戦場として発展をとげてきた。
「オープンカー」というのは不思議なもので、いつの時代でも『憧れ』の対象として燦然と輝いている。屋根がないってだけなのに、その開放感?というか優越感みたいなものは、なぜか人類共通の感覚かのように持ち合わせている。
日本は海外メーカーに比べるとそれほどオープンカーのラインナップが多いわけではないが、マツダ ロードスターのように世界各国で認められているものもあれば、ダイハツ コペンやホンダ S660のように軽自動車という日本限定のオリジナルカテゴリーのものも存在するので、取り巻く環境というのはちょっと独特。
とはいえ、「いつかはオープンカーに乗ってみたい!」「老後は個人用にロードスターを・・・!」と思う諸兄は多く、子供からおじいちゃんまでその憧れは確固たるものだ。
・・・ところがだ。いざ実際にオープンカーに乗っている人の意見を聞いてみると・・・。
その出てくる言葉の意外なことや。
あぁ、ここからはとても現実的なハナシをしてしまうから、夢をブチ壊されたくない人はブラウザバックしてくれよ。
いいね?
それで、実際にオーナーたちにハナシを聞いてみると、
「屋根を開けると直射日光が熱すぎて焼けて死んでしまう」
「風が全然入ってこないのでクーラーは必須」
「雨降ったら地獄。通り雨でもNG」
「晴れの日のオープンはかなりキツイ。」
「結局曇りの日しかオープンにしない」
などなど・・・。
その言葉のネガティブなことときたら・・・!
開放的だし涼しそうだし、いかにも楽しそうなオープンカーだが、ルーフを外してホラびっくり。文句が出るわ出るわ・・・。
ていうかオープンカーなのに快晴が大敵って、もはや本末転倒じゃないか。
屋根開けて青空のもと爽やかにドライブ・・・を夢見てたのに、実際は鉄のバスタブのなかで太陽に焼かれるとか、いやちょっと悲しすぎでしょ。
俺たちの『憧れ』は一体何だったのか???
まぁでも、そんな否定的な言葉が絶えないオーナーたちなんだけど、不思議と
「手放そう」
って言う人はいないんだ。
やっぱ好きなんスねぇ!
非合理の中で生きる。
それがオープンカーに乗るってことなのかもね。
オープンカー
ルーフ開閉を電動もしくは手動で行うことの出来るタイプの自動車。そのほとんどはパーソナリティクーペに採用されており、特に欧州車には多く見受けられる。
アメリカでは1950~1960年代のクルマによく採用されていたが、その数は徐々に減少し、現在は一部のパーソナリティカーだけにとどまっている。日本はロードスターやABCトリオなどコンパクトクーペのラインナップに特徴がある。
同じ車種でもハードトップのものよりもボディ剛性を強くしないといけないため、性能は一緒でも価格は高くなる。
オープンカーは和製英語で日本限定の呼び方。イギリス英語ではロードスター、アメリカ英語ではコンバーチブルと呼ばれる。他にもスパイダーやカブリオレ(カブリオ)とも称される。
ヨーロッパはオープンカーの宝庫だ。3シリーズやCクラスのようにセダン・ワゴン・クーペが共存するモデルでも、まさにこのためのデザインなのではないか?というくらいオープンモデルは美しい。
フェラーリやランボルギーニなどのスーパーカーはオープンになるとより一層美しさが際立つ。ルーフがないことでローフォルムが強調され、より迫力のあるデザインになるのでやっぱり屋根は常に開けておきたいものだ。
オープンカーはクーペだけに限った話ではない。ミニクーパーやビートルなどのコンパクトカーにもオープンモデルは存在する。
小さくてかわいいヤツらだが、オープンにすることでその個性的なルックスにより磨きがかかるようだ。
これは日本特有の汚点・・・いや逆に美点というべきか。成人式の日には気合いの入った新成人たちが’’ひと悶着’’起こすのだが、どういうわけか普通のクルマの屋根をチョン切ったヤバイヤツがうろつくことがある。
それは行き過ぎた自己主張なのだろうが、カーカスタムというのはそもそもが個性の主張なのだから、「即席オープンカー成人式仕様」はまさにカスタムの基本に立ち返った始祖鳥のような存在なのかもしれない。