昔どこかの実況アナウンサーが
さりげなく言ったのを
今でも鮮明に覚えている。
「F1は人間社会の縮図だ」
亜高速に身をゆだねるドライバー。
鬼気迫るピットワーク。
爆音に包まれるサーキット。
観客たちの熱気。
友情、感動、奇跡。
怒り、妬み、政治。
70年余り続く
世界最大のモータースポーツ
F1の魅力は
とても一言には語れたもんじゃない。
80年代のセナプロ黄金時代から
2010年代のメルセデス無双まで
F1には濃厚すぎて
胃もたれを起こしてしまいそうなほどの
深すぎる歴史がある。
今回はF1黄金時代から
今に至るまでの
F1の歴史を見ていこう。
1980年代:黄金時代の幕開け~セナプロ時代~
1950年の初開催からF1マシンは飛躍的な進化をとげてきた。
そしてそんな獰猛な暴れ馬たちを、己の剛腕一つで華麗に操る、F1ドライバーたちもまた日々進化してきている。
特にマクラーレン・ホンダ全盛期を築いたドライバー、アラン・プロストとアイルトン・セナの活躍は、にわかに日本でF1ブームを巻き起こしたほどだ。モータースポーツに興味がない人でさえ、F1といえば彼ら2人がいた頃を思い浮かべる人も多いことだろう。
88年は16戦15勝、ターボエンジンが禁止された89年も16戦10勝と圧倒的な強さを披露。プロストとセナの圧倒的な強さから80年代末期を、人は「セナプロ時代」と呼んで懐かしむ。他にも円熟期を迎えたネルソン・ピケや荒法師ナイジェル・マンセルの活躍も光った。
だが、強すぎるがゆえにいがみ合いも起こった。F1は1チーム2人でエントリーするが、勝利を優先するファーストドライバーとそれをサポートするセカンドドライバーという棲み分けがされるのが一般的。つまりトラブルでも起こらない限り、基本的にファーストドライバーに勝たせる方向で戦略が練られる。
プロストとセナはともにF1で快進撃を披露。マクラーレンはチームオーダーを出さず「互いに勝利を目指して切磋琢磨しなさい」というスタンスで2人と契約した。しかし2人の関係は悪化するばかりでチームメイトにも関わらず、ほとんど話すことはなかったという。チーム内紛争はマクラーレンに限った話ではないが、2人の場合はチームに派閥を作ってしまうほど、難儀なものになっていた。
89年フェニックスで行われたアメリカGPでセナのマシンにトラブル。原因は「ビル群を飛び交う電波がマシンを狂わせた」との発表だったが、プロストは自分のマシンにはトラブルが起きなかったことから、「自分はセナより劣るマシンを与えられているのではないか?」と疑問を持つことに。それを発端にマクラーレンへの不信感が募り、チャンピオンに輝いたにも関わらずフェラーリへ移籍することに。
結局プロストはフェラーリへ移籍し、94年にセナがイモラで事故死するまで2人が和解することは無かった。どこかのメカニックが言った「F1は友情をはぐくむには厳しすぎる」という言葉が身に染みて感じる。
1990年代:ハイテク、2世対決、皇帝の序章
なおも技術の粋を集めて作られるF1マシンは進歩が止まらない。ハイテク化の象徴と言えば92年のウィリアムズFW14Bが筆頭に挙がる。荒法師マンセルと最強パッケージのタッグは16戦9勝ポールポジション14回でぶっちぎりの優勝を飾る。F1マシンは単にエンジンパワーだけではなく、ハイテク技術のすべてをつぎ込み、トータルバランスでなければ勝てないということを見せつけた。
94年にはベネトン・フォードのミハエル・シューマッハがドイツ人初のF1王者に。翌年95年はルノーエンジンになったものの、難なく連覇しシューマッハの天性のポテンシャルを見せつけるカタチに。2年連続王者を飾った後は、長年チャンピオンから見放されていたフェラーリへ電撃移籍。名門復活の救世主として赤いレーシングスーツに身を包むことに。赤い皇帝の序章である。
96年はグラハム・ヒルの息子デーモン・ヒルがチャンピオンに。翌97年はジル・ヴィルヌーヴの息子ジャック・ヴィルヌーヴが王座に輝く。F1史上初の2世対決が話題になったのもこの頃だった。またこの年ブリヂストンがF1へタイヤ供給を開始。以降2010年に撤退するまで数々の勝利をアシストしてきた。苦労人のデーモン・ヒルと自由奔放なジャック・ヴィルヌーヴは、しばしば比較の目で見られることも多かった。
そして90年代といえばシューマッハ生涯最大ライバル、ミカ・ハッキネンの活躍も忘れてはならない。カート時代から互いにライバルとして認めてきた2人だったが、マクラーレン、フェラーリ共に熟成が進んだ98~00年のF1は、シューマッハとハッキネンの2人を中心に展開された。ハッキネンは激戦の末、98年99年と2年連続でシューマッハを破りチャンピオンに輝く。
名勝負の多い2人だが特筆すべきは2000年のスパ・フランコルシャンだろう。40周目、ハッキネンは前を行くシューマッハに大勝負を仕掛ける。なんと最もスピードの出るケメルストレートでシューマッハがゾンタをよけるため左に行ったのを確認し、ハッキネンはコーナーイン側の右へ。なんと時速300kmで2台同時にゾンタを挟む形でパッシングしたのだ。このシーンをF1史上最高の名場面に上げる人も多い。
2000年代:皇帝誕生と皇帝を超える者たち
2000年代はシューマッハの開幕3連覇で始まった。シューマッハ加入から5年目を迎え、名門フェラーリに失われた輝きを取り戻した。結局2000年~2004年の間シューマッハは前人未到の5連覇を達成。以降06年に引退(一度復帰するが12年に正式に引退)するまで通算91勝、7度のワールドチャンピオンになりF1界にその名を刻んだ。
特に2002年にフェラーリが投入したF2002はマシンの完成度が高く、17戦中15勝(シューマッハ11勝・バリチェロ4勝)あげる圧倒的な強さを誇った。今でもF1史上最強マシンとして名が挙がることが多いほど強烈なインパクトを残した。しかしシューマッハがチームメイトのバリチェロに意図的に勝利を譲るシーンが見られたため、翌年からは黙認してきたチームオーダーが禁止された。(現在でも禁止とされているが、実質的にチームオーダーに近い場面がいくつか見受けられる)
そんなシューマッハ&フェラーリの快進撃もついに破られる日が来た。05年フェルナンド・アロンソが史上最年少でチャンピオンに輝くと翌06年も連覇。いずれも絶対王者シューマッハを下しての勝利だった。また07年にはキミ・ライコネンが勝利。アロンソとライコネンはデビューから20年近くたつが、2021年現在いまだに現役F1ドライバーとして活躍している。
そして2008年ついにあの男がF1チャンピオンに輝く。現F1界で絶対的強さを誇るドライバー、ルイス・ハミルトンである。しかもデビュー2年目という驚異的な若さでチャンピオンになったのだ。近年の無双ぶりを見るに、これは絶対王者への序章にしか過ぎなかったわけだが、当時から天性のドライビングスキルを持つものとして注目の的だった。
翌2009年はロス・ブラウン率いるブラウンGPのジェンソン・バトンが王座に輝く。バトンは2017年からSUPER GT500クラスへ参戦し、2018年にはNSX-GTを駆りシリーズチャンピオンを獲得。F1とSUPER GT両方でチャンピオンになった唯一の人物である。
2000年代はタイヤ問題が浮き彫りになった時期でもあった。F1において複数メーカーがタイヤを供給することはマシン開発コスト増大の一因になると考えられている。過剰なコスト増大は参戦チームの障壁になる他、競技性の衰退にもつながりかねない。
特筆すべき出来事として、佐藤琢磨も出走した2005年のアメリカGPでのインディゲート事件を挙げておこう。インディアナポリスはコーナーの一部がオーバルバンクになっており、練習走行の時点からミシュランタイヤにのみタイヤの偏摩耗が起こり、トラブルが続出した。ミシュランはこのままの出走は危険と訴えたがFIAはこれを受け入れず。
結局ブリヂストンタイヤの6台のみでレースが行われ、残る14台はフォーメーションラップで全車ピットイン。競技性や公平性など様々な問題が取り出さされたが、結局レースは成立したものとしてシーズン終了。この一件でミシュランはFIAとの関係が悪化し、2006年限りで撤退することになる。これも持って長く続いたタイヤ戦争は終結した。
2010年代~:超高速マシンとメルセデス帝国
F1カーはまさに近代科学の結晶だ。90年代のマシンに比べると、マシン幅はタイヤがフロントウィングに収まるまでトレッドが縮小され、細長くスラっとしたいで立ちになった。またエンジンも直列4気筒ターボ+エネルギー回生システムが組み合わさり、わずか排気量1600ccから1000馬力を絞り出すと言われている。そもそもエンジンとは呼ばずパワーユニットと呼ばれることが多い。
特に空力に関しての進歩が目覚ましい。フォーミュラーカーもGTカーもそうだが、近年のレーシングカーは空力特化型と呼ばれるほどエアロダイナミクスに心血を注いでいる。だが、それゆえにわずかにでもエアロの一部が破損してしまうと、大きく性能を落としてしまう。
空力に特化しすぎたために最近のF1ではダーティーエアー問題が深刻化している。ダーティーエアーとは車が過ぎ去った後に発生する乱気流のことで空力特化のF1マシンにとっては致命的。オーバーテイクしようにも乱気流が邪魔してスピードが伸びないのだ。近年追い抜きが少なくレースが単調になっている原因のひとつとして考えられている。
またピット作業も劇的に変わった。2012年にフェラーリが導入した「ナット一体型ホイールシステム」によりタイヤ交換がわずか1~3秒で完了するように。00年代までは早くても6秒だったことを考えれば驚異的な進化である。それに伴いピットトラブルも以前に比べて激減した。昔はピットワークのドラマがあったのに・・・と懐かしむのは私だけだろうか?
そもそも全体的にF1はトラブルが減りつつある。80~90年代は毎レースマシントラブルやクラッシュでリタイヤするクルマを目にしていたが、今はほとんどが完走できてしまう。もちろん壊れないことはいいことだが、それだけに波乱が起きるレースも少なくなった。メルセデスの無双ぶりを見てわかるように、F1はますます戦力差が拡大しており、ときおり「最近のF1はつまらない」といわれるまでになってしまった。
そんな2010年代はセバスチャン・ベッテルの快進撃からスタートした。2010年ベッテルはF1デビュー3年目に史上最年少でチャンピオンに輝くと勢いそのままに11・12・13年と4年連続でチャンピオンに輝く。後にホンダがF1復帰してから強力なパートナーになるレッドブル・レーシングの名を世にとどろかせた。
だがそんな快進撃を止めたのは、現F1界の絶対王者に君臨するペトロナス・メルセデスAMGのルイス・ハミルトンである。2014年は19戦中11勝をあげチームメイトのニコ・ロズベルグも5勝をあげており、文字通りメルセデスが席巻するカタチに。結局ハミルトンが14・15・17・18・19・20年に、ロズベルグが16年に王者になっており、7年連続でメルセデスがチャンピオンになっているのだ。
もはや速すぎて「つまらない」といわれるほどメルセデスは強い。2010年に参入した若いチームなのに、ハミルトンのドライビングテクニックも相まって鬼に金棒的な強さを見せつけている。正直母国イギリスのファンはたまらないかもしれないが、それ以外の国のファンはポカーンとしているのではないだろうか。
しかし今年2021年、ついにメルセデス帝国に風穴を開けるチャンスがやってきた。レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンの躍進である。19年・20年シーズン3位に入賞した期待の若武者が今年王座を狙えるドライビングを見せている。13戦オランダGPまでに8勝をマーク。2位ハミルトンに僅差で迫られているものの、8年ぶりに絶対王者を王座から陥落させられるかもしれない。
2015年のF1復帰以来、近代F1のレベルの高さに悪戦苦闘してきたホンダエンジンだったが、ラストイヤーと発表されている2021年に千載一遇の大チャンスがやってきた。F1黄金時代を築いた名門が、今まさに復活の時を迎えている。これがラストイヤーというのが悔やまれるが、だからこそ優勝してほしいと強く願うばかりだ。今年表彰台のてっぺんでホンダの名前が見られることを期待しよう。