この記事はシャコタン好きかつマニアックカー好きの管理人が最近気になったクルマを紹介するページです。市販車からレーシングカーまで「コイツ只者じゃねぇぞ・・・」ってクルマをピックアップしていきます!
はじめに、私は珍車が好きだ。
デザインの珍妙性、
見合わないエンジンパワー、
謎のコンセプト・・・。
血迷ったとか、
気の迷いだとか、
そういうことをいう人もいる。
だけど、
他がやっていないことに挑戦するのは
とても勇気が要ること。
特にクルマなんて
かかる費用が大きいから
その分ハードルも高くなる。
ティレルの6輪F1マシン、
ロケットみたいなシャパラル2J、
古くから「妙」なマシンたちは
その時折々に存在している。
だが科学技術の進歩で
そういった挑戦的な目論見は
合理性の前に消え去ることが多くなった。
「非合理なことはわざわざやらない」
それが現代社会のモットーといわんばかりだ。
しかしさかのぼること数年前、
技術大国日本から
「これは・・・なんだ・・・!?」
と思わせる紛れもない珍車が誕生した。
それも
レーシングカーの最高峰、
ルマンカーとして・・・。
そんな魅惑と謎に包まれた
「日産 GT-R LM NISMO」を
詳しくみていこう。
FF駆動のハイパーカー「GT-R LM NISMO」の誕生
アメリカ人はアメフトが好きだ。中でもアメフト世界一決定戦「スーパーボウル」の視聴率は全米スポーツ競技でナンバーワンだと言われている。そんなスーパーボウルが放送される中、米国人は「技術の日産」の新たなレーシングカーを目にすることになる。それがGT-R LM NISMOの初披露だった。
日産は2014年に「2015年からルマン24時間レースにGT-Rの名前で参戦する」と発表していた。昔はレース屋として名をはせた日産だ。R380シリーズやR91CPなど、とにかく速いクルマを作らせたら右に出る者はいないのがこのメーカー。そんな日産がGT-Rの名を冠してマシンを作るのだから、さぞかしスゲェヤツを作るに違いないと誰もが思った。
空力最優先のFF駆動
だがいざフタを開けてみたら「おぉー!」という感嘆の声よりも「えっ?」という驚愕の声の方が大きかった。なぜならこのカテゴリーでは前例のない常識外れの「FF駆動」だったのだ。GT-R LM NISMOの属するクラスはLMP1クラス。ルマン3連覇を成し遂げたトヨタ TS050と同じクラスになる。
ルマンのトップカテゴリーであるLMP1はプロトタイプスポーツカーで競われるカテゴリーで、後方エンジン後輪駆動(もしくは部分的に4WD)にするのがセオリーというもの。24時間という長丁場を300km以上のスピードで走行しなければならないのだから、それに見合ったパッケージが求められる。過去にはFRのレーシングカーもいたが、90年代以降はMRにするのがお決まりになっている。
だからこそこの「FF」という文字を見た時は「は?」と目を丸くしたわけだ。FF駆動のレーシングカーなんて聞いたことない。それもルマントップカテゴリーなんて信じられない・・・。技術の日産とはよく言ったものだが、これはあまりにも斬新すぎる・・・と。
もっとも日産は目的があってFFレイアウトを採用している。その理由は「空力」だ。
フォーミュラーカーやGTカーをはじめとするレーシングカーは近年「空力依存型」と呼ばれるほど空力開発に心血を注いでいる。エンジンパワーで性能を引き出すのではなく、ダウンフォースをより強力にして速さを追求するのだ。
もちろんLMP1クラスにおいても空力が大事なのは同じこと。ルマンカーのレギュレーションではリアよりもフロントの方が空力設計の自由度が高いため、それを活かすためのFFだという。その結果、他では絶対にありえない、まるで未来の乗り物のようなユニークなデザインが誕生した。
鬼才ベン・ボウルビーのデザイン
FFレイアウトという異端な設計と共に注目を集めたのが「デザイン」だ。FFレイアウトにしてまで実現させたかった姿とはいかなるものか。
その前にこのGT-R LM NISMOのデザイナーについて触れておかなければならない。デザインを担当したのはベン・ボウルビーという男だ。過去にデルタウィングというまるでアニメから飛び出してきたようなクルマを作っていたことでも知られる。彼のアイデアはとにかくユニークで常識を覆す彼独自の理想のデザイン論を持っているのだ。
そんな鬼才の手にかかったとなれば、この奇妙なデザインも頷ける。モコっと膨らんだホイールハウス、泡のように浮き出たコックピット、それに吊り上がったヘッドライトと・・・「これのどこがGT-R??」というのも無理はない。しかしこれこそがボウルビーの描く理想のエアロダイナミクスなのだ。
またFFレイアウトという特異な形状を採用したため、タイヤは前輪が310mm、後輪が200mmと前の方が太くなっている。またフロント部分にバッテリーやなどの重量物を配置する格好となった。またエネルギー回生装置がコックピットの膝元にくる設計になっていたので、ドライバーは窮屈な姿勢でのドライビングを強いられたという。
世界初。ゲーム出身ドライバーがルマンへ
驚くべきトピックはもうひとつある。ドライバーの選考だ。なんと23号車にはゲームの世界からプロドライバーになったヤン・マーデンボローが搭乗していたのだ。世界初のゲーム出身ドライバーのルマン出場だ。
ヤン・マーデンボローは日産がグランツーリスモで行っていたプロジェクト「GTアカデミー」から正式にプロドライバーへなった男だ。昔では考えられないことだが、今はゲームの上手い人物がプロになるケースが出てきている。彼はゲームでもリアルでも卓越したドライビングスキルを持っていた。
後に日本へ渡り、フォーミュラーニッポンやSuperGTへといったトップカテゴリーに参加し勝利を収めることになる。このGTアカデミーというゲーマー養成プロジェクトはルマンドライバーを生み出せるほどの成功をしたのだ。
挑戦と惨敗の2015年シーズン
聖地ルマンへ
日産は目論見通り、2015年の開幕に合わせて車両を完成させた。・・・と思われたが、早々にテストを打ち切り世界耐久選手権(WEC)の第1戦、第2戦への参加を見送った。そして当初目標にしていた第3戦ルマン24時間レースへ3台体制で挑むことになった。
しかし、予選の結果は散々だった。タイムはトップから20秒落ち、しかも下位のLMP2クラスの1台よりも遅いというひどいものだった。たかだか1周だというのにこの始末。結局ベストラップ110%落ちタイムにも達せず、グリッド降格になってしまったのだ。この時点で優勝の望みは絶たれたも同然だった。
そんなドタバタの後、レースは始まった。・・・が、23号車はまだピットの中。レース開始まで修理が間に合わなかったのだ。結局スタートしたのは開始から15分後。当然ぶっちぎりの最下位だった。
レース開始10時間で21号車のフロントタイヤが外れリタイヤ。残り1時間のところで23号車がリアサスペンションのトラブルでリタイヤ。22号車はクラッシュの影響で夜間の大半を修理に費やしたものの、一応ゴールすることはできた。しかし規定周回数に満たなかったため完走扱いとはならず。結局トップのポルシェから135周差も付けられ、全クラス含めても最下位だった。
日産は「3台中1台は完走できたのでとりあえずOK」とのことだった。が、生粋のレース屋である日産を知っているモーターファンからすれば納得できるはずもない。「あの日産がヒドイことに・・・」と胸中では思ったはずだ。
GT-R LM NISMOの挑戦終了
驚くべきことだが以上がGT-R LM NISMOの「全成績」だ。ルマン24時間の後、日産はWEC第4戦以降の欠場を発表。来年のルマンへ向けて車両開発に専念するとのことだったが、その舌の根も乾かぬうちに、12月にはGT-R LM NISMOの開発の打ち切りを発表。かくしてGT-R LM NISMOの挑戦はわずか1年足らずで終わってしまった。
革新的デザインと常識外れのメカニズムで話題を呼んだGT-R LM NISMOだったが、その終わり方は何ともあっけないものだった。これ以降GT-R LM NISMOの話は一切聞かないし、ルマンへ再び挑戦するという話もない。「あれは何だったんだ?」という感想とともに我々の記憶の中に「珍車」として記憶されることになった。
GT-R LM NISMOと日産の問題点
なぜ「GT-R」の名前を冠するのか?
GT-Rとは日産の技術の結晶でありジャパニーズスポーツカーを象徴するクルマだ。初代ハコスカから今日のR35まで世界中で愛され続ける名車である。破産寸前の日産へやってきたカルロス・ゴーンが第一にGT-Rの復活を命じたのは有名な話。それほど日産を支え続ける車であり偉大な存在なのだ。
だがGT-R LM NISMOにはそんなGT-Rらしさは見当たらない。面影なんて1ミリもないし、なによりFFだし、どこに納得のしようがあるというのか?もしかしたらGT-Rの名前を世に広めようとするコマーシャル的なものもあるのかもしれないが・・・それGT-Rでやるかね?
車両のネーミングは自由だし、あれこれケチをつけるものでないのもわかっている。にしてもレース結果が残念だっただけに頭にどうしてもクエスチョンマークが浮かんでしまう。もう少し善戦していれば、こうは思わなかったかもしれないが。
車両開発のツメの甘さ
アメリカのインディアナポリスにあるファクトリーでGT-R LM NISMOの開発は行われ、エンジン開発は日本のNISMOで行われた。しかしその完成度はいまひとつだったと言わざるを得ない。
ルマン本選日、GTーR LM NISMOは度重なるトラブルに見舞われた。事前のテスト走行はアメリカのサーキットで主に行われたとの事だったが、ルマン24時間の開催地サルト・サーキットのハードな路面には対応できなかった。コースの大半が市街地の一般道で構成されるサルト・サーキットはドライバーにもマシンにも過酷なのだ。
またトラブルのせいで、レース中ハイブリットシステムが全く機能していなかったらしい。つまりガソリン動力だけで動いていただ。LMP1ーHybridクラスの規定に「レース中はハイブリッド機能を使わなければならない」という規定は無いので、ルール違反にはならなかったが、技術の日産にあるまじき失態だ。
またマシンのメカニズムを直に見たジャーナリストによれば「ボンネットの下は電機系統が這うように設置されており、整備性がとても悪そうに見えた」とのこと。FFレイアウトがゆえ、そういうメカニズムになるのは仕方ない事かもしれない。だがルマンは24時間走るのだからレース中に直すことも考えて開発しなければならなかったのではないだろうか?
レースへの姿勢がなっていない
マシンについてはまだわかる。初めて開発するのだから予期せぬトラブルや想定外のことが起こっても仕方ない。もっともルマン経験が浅い日産がいきなり優勝なんて言うのは少々無謀が過ぎる。だからこそしっかりデータを取り、次戦以降につなげていくことがモータースポーツでは何より大事なのだ。
だが前述したとおり、レース参戦の話は一切なくなり車両開発も打ち切られてしまった。ルマンカーの開発費用は何億円とかかるビッグプロジェクトなのにわずか1年の不完全燃焼のまま消えてしまっていいのだろうか。
ルマン24時間終了から3か月後、ルマン参戦プロジェクトの最高責任者ダレン・コックスが日産を退社している。追い出されたとか自主的に退社したとか様々な憶測があるが、詳細な理由は不明。さらにデザイナー兼チーム代表のベン・ボウルビーも代表の座から退いており、ルマン終了からあわただしい動きを見せていた。
さらにプロジェクトの正式終了からまもなく、インディアナポリスのファクトリーの従業員にはEメールで解雇通知が送られてきた。突然のことに従業員は日産のファクトリーに押し寄せたが、中には一切入れてもらえず、話も聞いてもらえなかったという。
日産も「3台中1台完走できれば万々歳」という方針だったはずなのに、いくら何でも人事が動きすぎではないだろうか?チーム一丸どころか全くのバラバラ。今思うと、プロジェクトをご破算にする前段階にしか見えないのは私だけだろうか?
しかも3台作られたGT-R LM NISMOは現在の去就が全くの不明である。どこかに保存されているのか、あるいはバラされたのか、その一切が謎に包まれている。
日産がわずか1年でGT-R LM NISMOの開発を諦め、中途半端な不完全燃焼で終わったことについて、モータージャーナリストやレーシングドライバー、レース関係者からは批判の声が多数挙がっている。
準備不足だった点、計画を詰め切れなかった点、そして何より次に繋げず蔑ろにした点だ。「そんな姿勢では他の真剣にやっているチーム対して失礼だ。スポーツマンシップに欠ける行為。」という声が多く聞かれる。
確かにGT-R LM NISMOは革新的だ。もしこれが大成すれば「FFハイパーカー」という新たなジャンルが確立されるのは間違いない。そのチャレンジ精神は大いに称賛に値するし、そういう挑戦なくして技術の進化はありえないと思う。
だが後始末が良くなかった。ルマンカーの開発費用は何億円とかかるし、継続するとなると大変なのもわかる。しかしレースに出るとか出ないとか、来年以降に繋げるとか繋げないとか・・・。国際企業にあるまじき不可解な動きがあまりに目につく。コックスやボウルビー、ファクトリーの従業員も志半ばだったはずだ。
かくして今日に至るまで、GT-R LM NISMOの話も日産のルマン参戦の話も全く聞こえてこない。まるで2015年は何事もなかったかのようだ。
私は珍車が好きだ。珍車とは業界の異端児であると同時に、挑戦の歴史でもある。歴史の教科書に名を刻むべき貴重な文化遺産だと思う。だけど、それにはメーカーの真摯な姿勢と野心的な思いがあるから好きになれるのであって、真剣みに欠けるようでは首をかしげてしまう。
日産はレース屋だ。R380シリーズから始まり現行GT-Rに至るまで、速いクルマを作らせたら右に出る者はいないと思う。だからこそ日産にはどうしても期待してしまう。もし今後ルマンを再び目指すことがあればぜひとも「バカッ速のカッケークルマ」を仕上げて頂きたい。
モータースポーツファンとして次なる最強ハイパーカーを待っています。やっちゃえ、日産。